三菱の歴史

2024.11.28

漫画「千年くすのき」小彌太編

第15話 三菱合資会社と分系会社

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千年くすのき プロフィール

原作:成田 誠一(なりた・せいいち)
『マンスリーみつびし』冊子時代に連載していた歴史エッセイ『千年くすのき』著者。本連載はこのコラムの漫画化。

漫画原作:星井 博文(ほしい・ひろぶみ)
漫画原作者、漫画家。『まんがでわかる 伝え方が9割』(ダイヤモンド社)など経済から歴史ものまで著書多数。「なんでもマンガにしちゃう男」

@hoshiihirofumi(X、旧twitter)


漫画作画:上川 敦志(かみかわ・あつし)
漫画家。小学館「少年サンデー」などで活躍。同社の学習まんがシリーズでも著書多数。『小学館版 学習まんが人物館 スティーブ・ジョブズ』(小学館)など。実は女性。


題字:藤田 紅子(ふじた・こうし)
書道家。毎日書道会審査会員、南不乗発会、現日会副会長、高知現日会長、安芸全国書展審査会員。安芸全国高校生書展審査員。

成蹊学園の創設者・中村春二と財政を支えた岩崎小彌太、今村繁三。
熱き友情と教育への思いは、今も吉祥寺の地に脈々と受け継がれて

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英国はケンブリッジ大学に留学した岩崎小彌太。その学生時代から、近代日本の教育を思い、新しい理念による学校を創りたいと考えていたといわれています。中村春二の理想とする教育を物心両面で支えたのが、その親友である小彌太と今村繁三。3人は高等師範付属学校尋常中学科在学中に親交を結びました。3人の学友の絆から、成蹊学園は誕生したのです。

3人の絆、というと小岩井農場を思い出します。小岩井の岩は岩崎の岩。小野義眞、岩崎彌之助、井上勝の3人共同で創った友情ストーリー。岩崎と三菱の歴史には、そのようなお話が多いような気がします。そんなエモい歴史をもっと深く知りたいという方におすすめなのが成蹊学園史料館。ある晴れた秋の日に行ってみました。

成蹊といえば吉祥寺。駅から歩いて20分ほどですが駅前からバスで5~10分ほどで到着。成蹊学園といえば、のケヤキ並木が見えてきます。象徴的な眺めですね。数々のドラマや映画のロケ地としても有名です。

成蹊学園史料館は、正面の門から入ってすぐ右側にあります。一階と二階それぞれに展示室があります。まずは一階右手にある中村春二記念室へ。

左が今村繁三、右は岩崎小彌太です。成蹊実務学校を設立したのは、実は吉祥寺ではなく池袋だったそう。1912年、明治45年のことでした。この学校は、人格の陶治を第一とし、私立学校令および私立学校令施行規則に準拠する各種学校だったとのこと。その後、小学校、中学校、女学校などを次々に開設。小彌太は学園に対して、財政援助を続けました。

1924年に吉祥寺に移転。7年制の成蹊高等学校を開校したのだそう。第二次大戦後の学制改革により、1949年に成蹊大学が設立され、今に続いているのです。二階の展示室では、より詳しい資料やストーリーを観ることができます。

成蹊学園は、2012年に創立100周年を迎え、2024年は池袋から吉祥寺に移転して100年の節目の年とのこと。おめでとうございます。史料館では、動画やジオラマ、たくさんの 歴史的資料と共にその歩みを辿ることができます。

教育こそ国を創る基礎と考え、中村春二の情熱に共感し、支え続けた岩崎小彌太。ビジネスパーソンとして一流なだけでなく日本の行く末を考え、憂い、行動する傑物であったことが、成蹊学園の友情ストーリーからも感じられます。

成蹊学園 史料館

東京都武蔵野市吉祥寺北町3-3-1
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