トップインタビュー

2024.08.08

三菱ケミカルグループ

「まあ、いいか」と40代後半から2度目のインド赴任。
余生はコルカタで過ごすつもりだった

三菱関連企業のトップのお考えやお人柄をお伝えする連載『トップインタビュー』。第15回は三菱ケミカルグループの筑本 学社長に学生時代やキャリアの話、社長としての会社の目標などについて聞いた。

趣味は水球、お神輿、スキューバダイビング。好きなお酒は日本酒、好きな食べ物は広島風お好み焼き。愛読書は平岩弓枝『御宿かわせみ』全巻。

三菱ケミカルグループ代表執行役社長
筑本 学(ちくもと・まなぶ)

1964年広島県生まれ。1988年に東京大学経済学部卒業後、三菱化成工業(現三菱ケミカル)入社。2010年フェノール・ポリカーボネート事業部長、2013年エムシーシーピーティーエーインディア社長、2018年執行役員素材戦略室長、2021年経営企画室長、2022年カーボンケミカルズディビジョン長などを経て2024年4月より現職。

――広島県広島市のご出身ですが、どんな子ども時代を過ごされましたか?

筑本父母は広島出身で、私も広島で生まれ育ちました。幼い頃はサッカー、野球、水泳と何でも好き。遊びが大好きで勉強が嫌いな子どもでした。中学から中高一貫校の広島学院に進み、水泳部で水球を始めました。試合では水球のライバル校である修道中・高とあたることが多かったのですが、修道で1年下の選手だったのが、ミュージシャンの吉川 晃司さんです。よく大会で一緒になりましたが、吉川君には女の子の声援が多かったですね(笑)。

――水球は過酷な練習もあり、とても鍛えられるイメージがあります。

筑本水球は泳ぐだけでなく、叩かれたり、蹴られたりする。何でこんなことになるのかと思うこともあるのですが、それも含めて水球です。練習ではバーベルを持って、プールで浮いたり沈んだり。まさにレジリエンス(耐久力)が鍛えられます。今も水球はおじさんチームに入って続けていますが、高校生と試合して平気で負けてしまいます(笑)。水球はマイナースポーツですから、今も昔の仲間とのつながりは強いですね。

――大学は東大ですが、水球をしながら勉強もされたのですか。

筑本現役で東大を受けたのですが、数学の問題が1問も解けませんでした。親に申し訳なく思い、浪人になってからは予備校で、高校時代の時間を取り戻すように猛勉強しました。学校は勉強を教えてくれますが、予備校は受験問題の解き方を教えてくれる。これがアマチュアとプロの違いかと実感しました。私にとって予備校は人生を考えさせられる場でもありましたね。
1年浪人して東大文Ⅱに進み、大学でも水泳部に入り水球を続けました。高校生のときに東大と練習する機会があり、東大は強いという印象がありました。だから、入りたいと思ったのです。水球を続けながら、経済学部のゼミでは石見 徹先生に学びました。

東大水泳部の格言「難しいことほど簡単に決まる」

――大学卒業後、三菱化成工業(現三菱ケミカル)に入社することになりますが、どんな理由で志望されたのですか。

筑本水泳部の先輩が三菱化成の人事にいたからです。本当は銀行にもほぼ決まっていたのですが、オフィス街を回っているうちに、三菱化成の先輩につかまってしまって。そこで簡単に入社を決めてしまいました。
東大水泳部には「難しいことほど簡単に決まる」という格言があり、先輩からの教えとして受け継いできました。今振り返れば、そうかもしれないと納得せざるを得ませんね。

――入社して、どちらに配属されたのですか。

筑本北九州の黒崎工場の業務部 有機グループで、当初の仕事は物流業務です。周囲の先輩、取引先にはいろんな方々がおり、ときには迷惑をかけて怒られながらも、たくさんのことを学びました。
工場勤務は周囲の方々に恵まれ楽しかったです。よく飲みましたし、ボーナスは飲み代のツケに消えました。当時の上司や仲間とは今も年1回、北九州のもつ鍋店に集まって飲み会をやっています。

――新入社員の頃で、印象に残っていることは何ですか。

筑本黒崎工場に2年ほどいて、その後、本社に異動となりました。しかし、上司はあまり仕事を教えてくれませんでしたから、会社にあるキングファイルを持ち帰り、夜中の2~3時まで毎日読み込んでいました。私どもの会社は先輩が立派で、事細かに仕事上の交渉記録や資料を10~20年分ファイルに残してくれていたのです。それを全部読んで、大事なことはメモ帳に書き写しました。それで仕事を覚えたのです。

ライバル社の部長から「おまえ、本当によくやったよな」と褒められる

――その後、30歳そこそこでインドに赴任されますね。

筑本最初の海外駐在でしたが、インドということで驚きました。400億円ほど投じて工場を立ち上げ、現地のビジネスを軌道に乗せるプロジェクトでしたが、当時はこんなに若い社員をよく責任あるプロジェクトに出したと思います。
実際、仕事ではとても鍛えられました。ライバル社がいわば横綱で、こちらは前頭十三枚目くらい。毎日相撲をとって、いつも疲れ果てコテンパンに負けていました。3年ほどインドで過ごしましたが、最後にライバル社の部長から「おまえ、本当によくやったよな」と声をかけてもらったのです。お客さまは褒めてくれませんが、ライバルが唯一褒めてくれました。

――その後、2013年からエムシーシーピーティーエーインディア社長を務められます。2度目のインド赴任ですね。

筑本久しぶりのインドは大きく発展していました。今度は赤字からの立て直しが目的でしたが、政権交代で新たな州政府からにらまれ、労働組合対策も大変で、工場は毎週トラブルばかり。途中から身体も壊しました。日本から見れば、インドはコストが安いと思われがちですが、そうではありません。優秀なインド人は日本人より賃金が高いですし、原料も決して安いわけではない。輸入すれば関税はかかるし、インドから輸出してもそれほど優位性はありません。ビジネスとしてはインド国内に目を向けざるを得ないのです。
インドでビジネスをするということは、インド国内をターゲットにして、インド人に合ったものを、インド人に合ったやり方でつくっていく。そしてインド人に合った値段で売るしかないのです。もうすぐ50代にさしかかり、ビジネスパーソンとして自分に残された時間は10年。「まあ、いいか」と思って、10年間インドにいて工場を立て直し、儲かる事業にして、余生は水球仲間がいるコルカタで過ごそうと考えていました。

インドのコルカタで水球を楽しむ筑本社長(一番手前)

――事業が苦しい状況から、どのように立て直したのですか。

筑本何が問題なのか、幹部150人全員、現場の班長クラスにも毎週ヒアリングしました。それから日本人部下1人の企画室をつくり、問題を集約しました。帰属意識がない、組合が過激で怖い、倉庫が荒れている、製造が安定しないから売るものがない、残業も多くなり次々と人が辞めていく、といった問題点が明らかになりました。
私は、それらをひとつひとつひっくり返すことにしました。例えば、工場オペレーションの安定化では、日本人のベテランオペレーター14人、日本語とベンガル語の通訳14人、インド人の班長14人をそれぞれ3人1組にしてずっと一緒に仕事をするよう指示しました。最初はインド人班長の反発もあったのですが、半年が過ぎると皆、日本人オペレーターの指導に従うようになり、1年半後にはインド人から「あなたは私の先生です」と言われるまでになりました。
製造プロセスの見直しでは、日本と中国、インドネシアに分散していた優秀な技術者をインドに集約し改善を図りました。日本人だけで40人ほどとなり、コルカタ日本人会が何十年かぶりに100人を超えたと日本の総領事から喜ばれました。そのときつくったのが、AKB48の「恋するフォーチュンクッキー」を皆で踊る動画です。ものすごい再生回数となり、よい思い出となりましたね。

地元の三河島稲荷神社の御祭礼に参加。お神輿好きで機会があれば担ぐ。

「儲かる会社にしたい」が社長としての目標

――2018年からは素材戦略室長、次いで経営企画室長なども務められたあと、2024年に社長に就任することになります。会社の方向性について、執行役員時代からどんな思いを持っていましたか。

筑本もし自分が社長になったら、こうしたいと考えていることがありました。一番は「儲かる会社にしたい」ということです。そして、社員の意識を変えるということです。
社員には会社に頼るのではなく、あくまで自分事として真剣に仕事に取り組んでほしいのです。若い人はしっかり練習し基礎体力をつくり、上司は部下がやりたいことがやれるように、しっかり稼いでいく。また、これから成長していくためには、一番得意とする分野を集中的に伸ばしていくことも必要だと考えています。

――具体的にはどう考えればいいでしょうか。

筑本要するに、自分がやるべき事業と自分がやらなくてもいい事業をはっきりさせるということです。自分たちは何が得意なのかを明確にして、自分たちがベストオーナーである事業に集中して経営資源を投じていく。私どもは総合化学メーカーであり、多くのビジネスとその種を持っていますが、製品コンセプトにはバラツキがあり、どれがすごいのかはっきりしません。「〇〇といえば三菱ケミカル」という売りがなかったのです。
しかし、商品をたくさん陳列しているだけでは儲かりません。これからは、「食品の長寿命化といえば三菱ケミカル」「サーキュラーな自動車関連部材といえば三菱ケミカル」というように、多くのお客さまから頼りにされる会社、頼りにされるブランドを構築していきたい。そして、KAITEKIの実現をリードするグリーン・スペシャリティの化学会社に「変身」する。私はスピード感を持ってこうした社内改革に取り組んでいきたいと考えています。

――最後に『マンスリーみつびし』の読者へのメッセージをお願いします。

筑本私どもの会社の一番の自慢はやはり人です。社員は多くのポテンシャルを持っています。そんな社員たちとともに、信頼あるブランドを活かしながら、社会のカーボンニュートラルとサーキュラーエコノミーに貢献して事業を成長させていく企業体に生まれ変わりたいと考えています。

過去の記事

TOP