
趣味は「今はゴルフくらいしかないかな」。好きな食べ物は「何でもいけます。アルコールも何でも大丈夫です」。愛読書は「『坂の上の雲』を始めとして歴史小説などでしょうか」。
auカブコム証券 代表取締役会長兼社長
二宮 明雄(にのみや・あきお)
1960年山口県生まれ。1983年に九州大学経済学部を卒業後、三和銀行に入行。2008年ジェーシービー執行役員企画部長、2009年三菱東京UFJ銀行営業第二本部営業第七部長、2012年三菱UFJモルガン・スタンレー証券執行役員人事部長、同年三菱UFJ証券ホールディングス執行役員兼任、2013年三菱UFJ証券ホールディングス常務執行役員、三菱UFJモルガン・スタンレー証券常務執行役員兼任、2015年三菱UFJフィナンシャル・グループ常務執行役員兼任、2016年三菱UFJ証券ホールディングス常務取締役、三菱UFJモルガン・スタンレー証券常務取締役兼任、2017年三菱UFJ証券ホールディングス専務取締役、三菱UFJモルガン・スタンレー証券専務取締役兼任、2018年三菱UFJ証券ホールディングス代表取締役専務執行役員、三菱UFJモルガン・スタンレー証券取締役副社長執行役員兼任、2020年auカブコム証券取締役会長、2022年8月より現職。
三菱関連企業のトップのお考えやお人柄をお伝えする連載『トップインタビュー』。第13回はauカブコム証券の二宮 明雄会長兼社長に学生時代やキャリアの話、新NISA(少額投資非課税制度)がスタートし追い風が吹く証券ビジネスのビジョンについて聞いた。
――どんな子ども時代を過ごされたのでしょうか。

二宮私が育った山口県光市は瀬戸内海工業地帯の一角にあり、父が務めていた新日鉄(現・日本製鉄)や武田薬品の工場がありましたが、それ以外は山と海に囲まれたのどかな街でした。今でも帰省すると昔と変わらず、タイムマシンに乗って50年前に戻ったような気分になります。中学時代からはバレーボール部に入部し、1年中バレーボール漬けの日々を過ごしました。最近は会社の先輩から私の体型を見て「昔は相撲かラグビーをやっていたのか」とよく言われますが、その頃は背が高くて、瘦せていたのです(笑)。
地元の高校に入っても、バレーボールをしたり、友人と楽しく遊んだり、地方の生活を満喫していましたが、さすがに高校3年になると大学受験のことが気になりだし、通信添削を受講して勉強しました。

バレーボール部時代の画像
――その後、大学に進まれますが、どんな学生だったのですか。
二宮父が福岡出身だったこともあり、「九州人なら九大へ行け」と九州大学経済学部を受験しました。受験では九大しか受けず、もし失敗したら就職だと親から言われていました。入学後は都会の福岡に下宿し、楽しくて新たな友達と麻雀などをして遊ぶようになりました。就職では、父親が鉄鋼マンで「鉄は国家なり」と常に聞かされていましたので、当初は鉄鋼メーカーに就職したいと考えていました。大学時代は金融ゼミに入っていたのですが、自分がまさか銀行に入るとは思いませんでした。ところが、就職活動中に三和銀行の先輩の方々からたくさんご馳走していただき、先輩の奥深い話の数々やお酒の飲みっぷりに感銘を受け、三和銀行に入行することになりました。
「仕事の報酬は仕事」と仕事に臨む態度を教わった
――三和銀行に入行されて、新入行員時代はどんな経験をされましたか。
二宮入行して最初に配属されたのは大阪の都島支店。資金係やテラー(窓口業務)などを経験した後、外交や融資に異動するという体制でした。テラーに出ても、隣の行員より処理スピードは遅く、正確な事務はできないし、融資係に支店内異動しても、稟議の不出来で融資の代理に怒られたり、夜は居酒屋で先輩からありがたい説教を受けたりしていましたね(笑)。ただ、多くの先輩から「仕事の報酬は仕事」「ひとつの仕事ができるようになれば、新しい仕事が与えられる。だからがんばるんだ」と仕事に臨む態度を教えていただきました。
――銀行は転勤が多いといわれていますが、どうでしたか。
二宮28年間の銀行生活のうち、13回ほど転勤、2~3年に1回、次々と新しい部署を経験しました。転勤は多かった方だと思います。都島と梅田新道の2つの支店に勤務した後は、東京の日本生産性本部で1年ほど研修を受け、中之島支店に配属されました。
そこから2年間組合専従となり、本店の営業本部に移った後、業務統括部(現在の法人企画部)では、当時の三和銀行が初めての銀行協会の会長行をするということで、スタッフとして参加しました。その後は、企画部や人事部を経て、2004年からUFJ銀行の目黒法人営業法人部長兼支店長となりました。続いて、川崎法人営業部法人部長、2006年からは三菱東京UFJ銀行川崎駅前支社長を務めました。
――多くの部署を経験されていますが、新たな赴任先で信頼を得るために、仕事に対するプレッシャーはなかったのですか。
二宮銀行は2年くらい経つと、その業務に慣れて余裕も生まれます。しかし私の場合は、2年くらいで転勤していたから、それがないんです(笑)。東京と大阪、名古屋を行ったり来たり。その後、2007年にジェーシービーに出向し、執行役員企画部長を経た後、三菱東京UFJ銀行営業第二本部営業第七部長に就きました。そこから2年後の2011年4月に三菱UFJモルガン・スタンレー証券経営管理本部副本部長として移ることになりました。
現場を見て、業務を知って、よい方向に改革していく

――銀行から証券へと移られますが、環境が大きく変わり大変だったのではないですか。
二宮それまではおもに銀行で証券業務に携わっていた人が証券に移っていたのですが、状況としては、ビジネスの立て直しのための出向でした。2011年4月、当時デリバティブ(金融派生商品)などで大きな損失を出してしまった三菱UFJモルガン・スタンレー証券は、さまざまな改革に着手しなければならない状況でした。
それまで証券に携わったことがない新参者の私は、証券業務に長く携わってきた方たちにとって、煙たい存在に映ったかもしれませんね(笑)。まさしく、正念場だと実感しました。「何としてもこの改革を成し遂げなければならない」と覚悟した当時をまるで昨日の出来事のように思い出します。
そのため、まずは赤字から脱し黒字に転換させ、従業員の処遇をきちんとできるように努めました。その2年弱は七転八倒、ハードワークの連続でした。例えば、証券業務を勉強するため、朝から支店に行って業務をずっと眺めることがありました。そうすると面白いことに社内に私の噂が拡がるわけです。なかには、そんな姿を見て、何かを感じる方がいらっしゃる。結果としてさまざまな改革を応援してくださる方がたくさん出てきました。現場を見て、業務を知り、共感を得て改革を進める。その後、アベノミクスの追い風も加わり、V字回復を成し遂げることができたのです。
――2020年からはauカブコム証券会長に就くわけですが、当時の経営課題をどう認識されていましたか。
二宮弊社は2007年に銀行の子会社となり、2015年に三菱UFJ証券ホールディングスの傘下に入りました。私はそこで経営企画と財務企画を統括していましたから、直接状況を見る立場にありました。傘下となったタイミングでシステム管理に関する業務改善命令を受けており、業績は下降傾向にあり、早急な改革が必要だと感じていました。ただ、よかったのは時代が後押ししくれたことです。その後、デジタル化の波のなか、KDDIが弊社にTOB(株式公開買い付け)をかけ、それにMUFGも賛同しました。2019年12月にMUFGグループが51%、KDDIグループが49%出資するジョイントベンチャーとして弊社が誕生しました。そこで私は社外会長を任され、ガバナンスの観点から統括することになったのです。
――これまでの経歴では何度か会社再建を成し遂げられていますが、再建のポイントはどこにあるのでしょうか。
二宮やはりビジネスの方向性を明確に示すことです。ただ単純に売り上げを伸ばすことだけを考えると、証券会社の場合は金融商品取引法に抵触するおそれが出てきます。再建には内部管理体制やビジネスの改革など「ここまでレベルアップする」と明確に打ち出すことが必要なのです。
今年はスタートラインから一歩前に踏み出す年になる

――現在の会社の状況はいかがでしょうか。
二宮2022年に社長に就いてから、ようやく昨年度に純営業収益が6年前の水準に回復し、現在は口座数も増加しています。2年前に社長に就任したとき、全社員に向けてメッセージを伝えました。ただし、それは同業他社にキャッチアップするための施策であり、まさに新たにスタートラインに立とうとするものでした。結果として就任から2年が経ち、こちらの目標は何とか実行できました。そのうえで今年はスタートラインから一歩前に出る年になります。
――スタートラインから一歩前に踏み出すために、これからどのようなビジョンを描いていますか。
二宮私達は「すべてのひとに資産形成を。」というパーパス(ミッション)を掲げています。文字通り、時代の要請に応える使命感を表明するものであります。ネット証券界で最高の企業格付をいただいている企業の代表として、これからは他社にないMUFGとKDDIの強みを活かしていきたいと考えています。
MUFGグループにおける「ネット証券戦略のコア」として、三菱UFJ銀行口座からシームレスに株式や債券が購入できるシステムの開発ほか、MUFGとグローバルな戦略的資本提携関係にある米モルガン・スタンレーの日本株取引執行基盤を活用し、SOR(スマート・オーダー・ルーティング)サービスの拡充と、日本で初めて個人投資家のお客さまに取引執行アルゴリズムをご提供するための開発を進めており、今秋には完成の予定となっています。
一方、昨年リリースし、グッドデザイン賞を受賞した弊社のスマートフォンアプリは、KDDIのノウハウを最大限に活用しました。KDDIグループにおいて、弊社は「すべての人にとって身近な金融・資産形成サービスを提供するためのセンターピン」と位置付けられています。KDDIの通信サービスのお客さま(約3100万)に金融機能をお届けするためのシステムを構築し、現在は、通信と金融特典がセットされたスマホ向け「auマネ活プラン」も展開しています。
このほか、手数料が安いというネット証券の強みに加え、お客さまとのインターフェースであるホームページ、コールセンターの拡充やシステム・オペレーション、内部管理の品質向上にも力を入れています。
最高品質のインターネット執行基盤でサービスを提供
――新NISAも追い風になるのではないでしょうか。
二宮確かに今年1~3月は新NISAスタートをきっかけに株式投資を始める方が多く、一時はコールセンターがひっ迫する事態となりましたが、現在は落ち着いています。株式投資は長くつきあうものであり、やはり自分なりに勉強してから始めた方がよいと思います。弊社も今が攻め時だと積極的すぎると、市場が下がったときにお客さまの信頼を失ってしまう。株式投資は目先の利益を追うのではなく、老後の資金づくりなどを目指して、長い目で資産運用してほしいと思っています。
――最後に、『マンスリーみつびし』の読者へのメッセージをお願いします。
二宮弊社は金融界を代表するMUFGの連結子会社であり、かつスマホに代表されるモバイルキャリアの雄、KDDIとのジョイントベンチャーであり、金融とスマホの融合を実現するベストパートナーだと確信しています。まさに世の中が求める価値に向け、私達は成長し、応えていかなければなりません。MUFG・KDDIのグループ力を活かし、お客さまの期待に応えた魅力的な商品・機能・サービスを最高品質のインターネット執行基盤のうえで提供していく。それが私達の使命だと考えています。