三菱関連企業のトップのお考えやお人柄をお伝えする連載『トップインタビュー』。第21回は三菱オートリース社長の髙井 直哉氏に学生時代やキャリアの話、社長としての会社の目標などについて聞いた。

趣味は山歩きとサウナ。好きな店は神田の「巴里の介」。赤ワインは高級銘柄が好きだが、日頃はコート・デュ・ローヌのE.Guigalなどを愛飲。引退後はカリフォルニアで農業をしたいという。
三菱オートリース代表取締役社長
髙井 直哉(たかい・なおや)
1965年大阪府生まれ。1990年大阪市立大学商学部卒業後、三菱商事大阪支社入社。1996年仏国三菱商事(在パリ)機械部自動車課課長、2004年北米三菱自動車(在LA)販売&マーケティング副社長、2012年MMC Rus出向 ロシア三菱自動車販売社長、2016年本店自動車欧州中東アフリカ部長、2020年KTB出向 インドネシア三菱ふそうトラック・バス社長、2022年本店モビリティ事業本部長を経て、2024年6月より現職。
――ニックネームはRockyだそうですね。2004年に北米三菱自動車に出向されていたときから20年ほど使い続けているとか。
髙井アメリカに駐在すると、皆さんニックネームをつけてもらえます。名字で呼ばれる機会はほとんどありません。私の場合は名前がNAOYAですが、AOと母音が続くためアメリカ人には発音しづらい。ボスや周囲がニックネームを考えたのですが、なかなか決まりませんでした。
当時はビルの端から端まで歩くと7~8分かかるような横長のオフィスで働いていました。歩いていると同僚から話しかけられるため、私がいたセールス部門から反対の財務部門に行くまで20分もかかってしまいます。仕方ないから、走るようにしました。
そうすると、付き合いが悪いとピーナッツを投げる同僚達がいます。そんなときタオルを投げる女性がいて、たまたまタオルが私の首にくるくるとかかったのです。タオルを首に巻いて走る私の姿を見て、誰かが「彼はRockyだ」と言いました。それから私のニックネームとなったのです。以来、20年ほど名刺にRockyと入れ続けています。日本人でも外国人でも分かりますし、アイスブレークとしても使える便利なニックネームだと思っています。

――お生まれは大阪ですね。
髙井大阪市内の東淀川区で生まれました。大阪ということもあり、周囲の笑いをとるような子どもでした。というのも、みんなが笑いをとっていますから、まさに笑いのとり合いになるのです。オチがない話をすれば仲間はずれにされてしまいます。とにかく話に重なるようにツッコミをいれる文化で育ちました。
――大阪出身の方はコミュニケーションのとり方がとても上手ですね。
髙井確かに海外に行って、一番コミュニケーションに長けている日本人はやはり大阪人だと思いますね。ちなみに世間では、ユーザー視点で解決策を探っていく思考法をデザインシンキングと言います。これはアメリカ流の思考法だと思われるかもしれませんが、それは最近の話であって、源流をたどると大阪に行きつきます。なぜなら、大阪では「あなた」のことを「じぶん」と言うからです。これは(あくまでも自説ですが)まさにユーザー視点と言っていいでしょう。

両親は自由放任主義で
好奇心旺盛な子どもだった
――小中学校時代はどう過ごされていたのですか。
髙井ピアノをやったり、剣道をやったり、結構好奇心旺盛な子どもでした。父は徳島、母は高知の出身。両親は自由放任主義で、子どもがしたいことを否定することはなく、何でも自由にやらせてもらいました。
――高校時代はいかがでしたか。
髙井高校時代は1年間、イギリスに留学しました。エセックス州のコルチェスターという古城のある街です。父が大学教授をしており、
1年間エセックス大学に客員教授として招かれたため、行くことになりました。
1983年のことで、高校に通いながら英会話学校でも学びました。当時は日本人のステイタスはまだ低く、イギリス人は上から目線でした。先生はいい人なのですが、「この機械はエレベーター、これはコピー機といいます」と日本人の私がまるで何も知らないように接してくるのです。どちらも日本製で知っているブランドだったので、そう言いましたが「これはアメリカ製だ」と正してきます。それは違うと思いながらやり過ごしましたが、そんな時代だったのです。それでもイギリスでは楽しいこともたくさんありました。帰国したときは自分自身も日本に対して上から目線のようになっていましたね(笑)。
――大学は、大阪市立大学商学部に進まれました。
髙井とても手触り感のある大学で、小さい割には医学部をはじめ、たくさん学部がある学校でした。高校時代は帰宅部でしたが、大学では体育会に入りたいと考えました。調べてみると、アメフトかアーチェリーか弓道なら大学から始めても差が少ない。そこでアーチェリー部に入って、リーグ戦などで活躍しました。
その一方で、世界120カ国の大学が加盟する国際的な非営利団体AIESEC(アイセック)にも入りました。海外の学生を日本企業にインターンとして受け入れたり、海外の学生をスタディツアーに招いたりしていました。その逆もあって、私は2カ月間、トルコのビスケット会社でインターンとして働きました。ある日本メーカーとのプリンティングマシーンの購入に関する価格交渉の通訳などを経験しました。そこで交渉のやり方についても学びました。
――学生の頃は、外交官か漫才師になりたかったそうですね。
髙井両方ともコミュニケーションがおもな仕事で、自分でも得意だと思っていたのでしょう。若気の至りです。商社パーソンにも向いていると思い、三菱商事を受けました。面接では「もし今、海外の石油パイプラインが爆発したというニュースが流れたら、商社パーソンとして君はどのような行動をとるのか」と問われました。私は、まず爆発の原因を調査して、その要因ごとに対応策を考えていくことが必要だと答えました。結果、内定をいただきましたが、学生の分際でよく言ったものだと思います。
高知出身の母はとても喜んでくれました。母は海が見える場所で育ち、海外にもあこがれを持っていました。そのためか、私も子どもの頃から、海外の絵画や英語に触れさせてもらっていたこともあり、自然とそうした方向に向かっていたのかもしれません。
ロシア人ディーラー達に向かって
「ラスベガスへ行きたくないか」と呼びかける

――入社後は、大阪支社の経理部で外国為替チームに配属されます。
髙井国際貿易の基礎について学ぶと同時に、為替ディーリングにも携わりました。3年後に東京に赴任したのち、海外営業を希望していたこともあり、フランス語研修のために留学することになりました。それが転機となりパリやロンドン、ロサンゼルスなどでおもに自動車の販売を手掛けるようになりました。

若かりし頃の髙井社長。1996年のニューヨーク出張にて
――2012年にはMMC Rusに出向し、ロシア三菱自動車販売社長を務められています。ロシア駐在は大変ではなかったですか。
髙井生活は大変でした。海外に行くと日本食材店があるかどうか探すのですが、残念ながらロシアにはありませんでした。かろうじて韓国食材を扱っている店や日本料理店が数店舗あるのみ。当時はメドヴェージェフ大統領からプーチンが大統領として再任される時期。今はロシアとのビジネス関係は芳しくないですが、リーマンショック後に市場が回復したこともあり、良好な関係でした。ただ、2014年にはロシアによるクリミア併合があり、一日で金利が13%くらい跳ね上がるなど厳しい状況になりました。
――当時はMMC Rusの販売台数をMMCで世界ナンバーワンにしたそうですね。

髙井当時はロシア人にもお金持ちになりたいと思う人が増えていました。それまでMMCの主流はランサーでしたが、ロシアでは土地柄、SUVが好まれます。アウトランダーやパジェロがどんどん売れるようになったのです。
MMC
Rusは三菱商事が出資するまで、マネジメントスタイルがロシア風でした。自分達の考えが絶対で、140社あるディーラーに対しては上から目線で接するような感じでした。大学の講義のようにディーラーにマーケティング施策を説明するのです。
これではいけないと、私はエンターテインメント性を持たせてディーラー大会をお祭りにしました。私は社長として登壇し、映画『ロッキー』のテーマ曲で盛り上げて、「皆さん、アメリカに行きたくないか? ラスベガスに行きたくないか?」と呼びかけました。成績がトップ20に入ったディーラーにはアメリカ旅行をプレゼントする。だからがんばってほしい、と鼓舞したのです。ディーラーの気持ちを引きつけたことで、そこからウナギ登りに業績が伸びていきました。
モビリティ分野で先駆者となるべく
お客さまのニーズに真摯に対応していく

――キャリアとしては、海外での自動車販売に注力してきたように見えますが、自動車販売で難しいのはどんな点ですか。
髙井海外ではブランド力がものをいいます。ブランド力があれば、どんな車でも安心して受け入れてくれます。しかし、ブランド力がない場合、自動車販売は本当に難しい。お客さまにブランドと製品を理解してもらうところから始めなければならないからです。自動車販売では購入後にアフター・セールスをきちんとしてくれるかどうかなど、人間的に寄り添う要素も必要となってきます。ショールームに車を並べるだけで売れるものではないのです。私としては、道なき道を切り拓いてこそ商社パーソンだと思っています。これまでさまざまな国で仕事をしてきましたが、振り返ると本当に幸せなキャリアを過ごすことができたと感じています。
――三菱オートリースの社長に就任されて、どんな会社にしたいと思っていますか。
髙井モビリティ社会の未来を変革するドライバーになりたいと思っています。多種多様なモーダルを自動運転とDXを駆使して、環境に配慮したモノと人の移動を最適化するドライバーです。これを実現するにはモビリティ業界を効率よく活性化させる必要があります。モビリティ業界は100年以上の歴史がありますが、今後はツールとしてのモビリティに留まらず、他業界との融合により新たな価値を生み出す業界に変革していくと思います。この価値実現のプレーヤーとして当社はとてもよいポジションにいます。当社は3万6,000社のお客さま、1万7,000社の整備工場などと取引があります。当社のお客さまはメーカー、小売事業者、サービス業者、通信事業者などあらゆる業界の方々です。当社は今後業界と業界の懸け橋になり、モビリティ社会を変革する方々をつなぎ合わせたいと思っています。
そして私達自身はこれから自動運転が本格化していくなかで、メインのプレーヤーになっていきたい。そのために、私達が率先して自動運転機能を実装し、交通事業者などに横展開していきたいと考えています。

――最後にメッセージをお願いします。
髙井三菱オートリースは、オートリースをベースにお客さまに安心して車をお使いいただくことに日々精進しています。お客さまの車両管理、EV化、カーボンニュートラル化などに関するさまざまなニーズやご質問に応える会社です。今後ともさらに発展するモビリティ分野で先駆者となるべくお客さまのニーズに真摯に対応していきます。
今後、カーボンニュートラルの規制が強化されるなか、従業員の通勤に関わるCO2排出量もカウントしていく必要があります。当社ではお客さまの従業員さまに対するEV化促進に関するリースプログラムも用意しております。ぜひ当社をご活用いただければと思っております。